日替わりコラム
遙かな母国
遙かなる母国
長崎市外海町にあるドロ神父の墓所を訪ね参拝してまいりました。
ドロ神父は明治元年フランスから遙々と日本へ派遣され、日本のキリスト教振興に尽力されました。
明治新政府は江戸幕府に引き続きキリスト教を禁止し、開国後の諸外国から非難を受けていましたがガンとして聞く耳を持たない状態でした。そのような中で長崎の浦上村の隠れ切支丹が信仰表明を行い、ここに「浦上4番崩れ」と呼ばれる切支丹弾圧が行われました。その悲惨な様は外国にも伝わり、当時ヨーロッパを視察中の岩倉具視一行に非難が集中し、結果明治6年キリスト教の禁教が解かれることになりました。
明治元年に来日されたドロ神父は禁教下で信仰表明した浦上村の信徒達に親身になって相談に乗り、キリスト教信仰の深化に尽くされました。その信徒達が「浦上4番崩れ」により悲惨な状態にあることを聞き如何ほど悲しまれたことでしょう。その後明治6年に禁教が解かれ、浦上の信徒達が帰郷し、再びドロ神父の指導を受けることになった喜びは何にも代え難いものであったのでしょうね。
その後ドロ神父は西彼杵の外海(そとめ)を布教の拠点とされ、痩せた狭い農地しかなかった外海の農民のために自費で土地を購入され、開墾をはじめ、又、鰯網やパスタの製造事業を興されるなど外海地区の人々の生活向上に尽力されました。又、出津天主堂(しつてんしゅどう)や大野天主堂・田平天主堂などの建設にも尽力され、それらは今長崎の教会群として世界文化遺産に登録されようとしています。
ドロ神父はひたすらキリスト教の信仰と人々の福祉に尽くされ、来日以来46年間一度も祖国フランスに帰ることなく、ついに日本の土になられました。亡くなられる前には自らが建設された出津教会の墓地に墓石を用意されていました。
この墓地を訪れたときドロ神父の信仰に対する純粋な気持ちに打たれ、同じく信仰をする者として手本とするお方の一人として尊敬してやみません。上の写真はドロ神父が用意された墓石で、下は出津教会が新しく建てられた墓所です。今も外海地区においてドロ神父は尊敬と親愛を込めて「ドロ様」と呼ばれています。
文・写真:城戸 恒雄8月27日

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