日替わりコラム
自然の広さ
 8月16日〜20日にかけて、宇治別格本山に盂蘭盆供養大祭の実行委員として行きました。総本山出発は午前8時で、京都駅に着いたのが午後2時頃でした。長崎の田舎から電車2本乗り継いだだけで、こんなにも都会になるのかと思いました。
 さすがに5時間以上も座席に座りっぱなしだったので、気分転換に京都駅を少し歩きました。駅構内は、節電になっているのでしょう、少しムッとくる暑さ、それも長崎の田舎では感じない都会独特の人工的とも言うべきものでした。日頃山々や草木に囲まれた生活をしていると、こういった違いはすぐに感じることが出来ます。
 それでも、「こんな広い構内を大量のエネルギーを使って無理に冷房するよりは、省エネだし何となく自然だから良いかな・・・それにしても暑いなぁ・・・」と思いながら暫く歩いていると、ファーストフード店の店先の座席に多くのお客さんが座っているのを見かけた時にはちょっと驚きました。(上写真)
 都会の人は暑さに強いのでしょうか?
 さらに暫く歩いていると、長い長いエスカレーターを見つけました。(下の写真1)大阪出身の私は、ついつい、「どこまで長いねん!」と、突っ込んでいました。この長いエスカレーターに乗りながら後ろを振り返ると、整然と規則通り並んだ鉄骨のアーチがとても壮大な京都駅の中央コンコースの屋根が眼前に迫っていました。(下の写真2)あまりの大きさに「人間というものはこんな巨大なものをよく造るな」と感心してしまいました。

 思い起こせば、今から25年以上前の高校生の頃は、こういった都会で自分も普通に生活していました。とくに何も違和感を感じていませんでした。それが25年経って田舎生活を満喫していると、こういった都会の生活は便利で楽しいだろうなと思う反面、何か少し無理があるなと肌で感じます。何が無理なのか?−−私が思うに、人工的空間に多すぎる人、別の言い方をすると、それは一人一人に割り当てられるその場所での自然(植物などが生えた)の広さが足りないのではないかということです。
 私個人が考えるに、人間一人一人には最低必要な自然の広さというものがあり、そして人間はそれら自然から常に何か得ているんじゃないか、だから、その自然から得ているものが体から減ってくると、それを補うため田舎に旅行したり山に登ったりしてバランスを保とうとしているのではないかと思うのです。
 そんなことを考えながら、宇治別格本山に向かう電車に乗り込みました。
 すっかり田舎暮らしが慣れてしまった私の都会旅行の時の感想でした。
文・写真:錦織 義記8月27日

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