日替わりコラム
ああ島原の乱
先日長崎県の島原半島へドライブに行きました。
第一の目的は原城跡を見ることです。
テレビやラジオの放送で島原の乱のことを見聞しますが、実際には見たことがなかったので百聞は一見にしかずと申しますので見に行くことにしたのです。
国道に案内看板がありますのでそれに沿って車を走らせますと、やがて〔原城跡〕と書かれた大きな看板がありました。
それはなんの変哲もない土塁にドンと置かれ、俗な言葉で言うと「色気も素っ気もない」ただの看板でした。
それを見た我が妻は
「こんなものを見るためにこんな遠くまで来たの?」と、ブーンイングを発してしまいました。
「まあまあ・この先に種々史蹟などあるから」となだめて駐車場へ車を止め、原城の見取り図で全体を確認し、島原の乱の死者の骨を集め供養したホネカミ地蔵を拝しました。
この島原の乱では一揆軍32000人が全滅し、幕府軍12000人も死傷し、幕府軍の司令官も戦死するという大乱でした。
この戦死者を供養したホネカミ地蔵を拝すとき、何とも云えぬ悲しみが胸に迫りくる思いでした。
更に本丸跡に歩を進めると、そこには彫刻家の北村西望氏の手による天草四郎時貞の像が天を仰いで聳えていました。
若干15才の若者が一揆軍の総大将に祭り上げられ、一揆軍32000人とともに殉教した歴史はただ悲しみの涙が溢れるばかりでした。
領主の悪政や幕府の禁教・切支丹大名の断絶など様々な要素で起こった戦ではありますが、人と人とが矢弾を撃ち合い傷付け合う姿は矢張り悲しいものです。
このようなことが無くなるように平和の祈りを捧げて原城跡を後にしました。
文・写真:城戸 恒雄9月14日

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